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二面性

エッセイ

大騒ぎしたあとに、急に静かになる。

人間は、二面性を持っています。

障害があるからといって、いつも同じわけではないのです。

ひとりの人間の中にも、相反する性質があることは、

めずらしいことではありません。

本日のnote記事

 

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コメント
  • 1:名前:あきこ : 2019/07/06(土)

    息子と直樹さんのフリートーク動画を見ました。息子にとっては、直樹さんはそういう人でした。何の理由も必要ありませんでした。ふーん。そういうことなんだね。
    ふーん。こんなに本を沢山書いてるんだね。
    ふーん。
    ふーん。
    ふーん。
    そうそう。僕も、時々話してること忘れる。
    そうそう。僕も違うことしてても、話聞いてるよ。
    ふーん。
    ふーん。
    ふーん。
    そして、見た後はすっかり忘れて、工作をしてました。スタンリーの宇宙船だそうです。
    直樹さんは、もしかしたらこんな息子をきっと好きになってくれるような気がしました。

    • 2:名前:higashida : 2019/07/08(月)

      あきこさんへ

      僕の動画を見て下さってありがとうございます。

      東田直樹

  • 3:名前:あきこ : 2019/06/30(日)

    ご丁寧にありがとうございました。
    直樹さんには、いつも助けられています。
    説明をしてもしなくてもは、その通りだと思いました。直樹さんの小学生時代とは違って、特別支援教育、発達障害という言葉は、誰でも耳にしたことがある時代です。しかし、その正しい認識や知識ではなく、言葉やイメージ、誤った情報だけがひとり歩きして世の中に溢れてしまっているのも現状で、当事者や家族に、以前とは違った形での負担が強いられているように思います。非常に難しいです。

    • 4:名前:higashida : 2019/07/01(月)

      あきこさんへ

      「正しい知識」そのものが変わってきているので、仕方ないことなのかもしれません。

      東田直樹

  • 5:名前:あきこ : 2019/06/28(金)

    もしよろしかったらですが、直樹さんにお聞きしたいことがあります。

    最近、息子から障害とは何か?と度々質問されます。小学生の頃の直樹さんなら、どんな風にお父さん、お母さんから話してもらいたいでしょうか?

    私ごとになりますが、先日、息子が、特別支援学校からやってきた副席学級の友達と触れ合う機会がありました。一年生の時から、時々やってくるけど、なんだか様子が少しおかしい。同級生は変だって言っている。と、いわれました。身体のように見て感じとれないところが、説明してもわかりにくいようです。

    今回は、私には直樹さんという本を書いている友達がいる。とっても有名でお金持ち。自分でお金を稼いでいる。もしかしたら、お父さんよりもずっとお金持ちかもしれないよ。と言うと、「直樹君は、何県に住んでるの?千葉県なんだね。そんなスゴイ人もいるんだね。」と話が変わってしまったので、気持ちが上手く伝えられなかったです。

    勿論、直樹さんと息子は違う人間なので、一概には言えないかもしれませんが、直樹さんは子供たちの気持ちにより寄り添って考えて下さる方だと思っています。

    よろしかったらお聞きできれば嬉しいです。

    • 6:名前:higashida : 2019/06/30(日)

      あきこさんへ

      障害とは何かを簡単に説明することは難しいと思います。
      当事者としては、このように考えています。
      僕自身は、小学生の頃、障害について、親から説明されたことはありません、また、自分から友達に説明したこともありません。
      僕をクラスメイトの一員だと思ってくれていた子は、説明しなくても仲間だと思ってくれていたと思います。
      僕のことを嫌いだと思っていた子は、説明したからといって、僕のことを好きになることはなかったでしょう。
      自分の障害について周りの人に説明してもらいたいかどうかは、本人であるその子が決めることではないでしょうか。

      東田直樹

  • 7:名前:あきこ : 2019/06/28(金)

    直樹さんの伝えたいことと、少しずれてしまっているかもしれませんが、何が障害かは、本来は当事者が感じることのような気がします。障害ということばがひとり歩きしているような気がして残念でなりません。人間は皆複雑な生き物だと思います。

    • 8:名前:higashida : 2019/06/28(金)

      あきこさんへ

      障害という概念をどう捉えるのかは難しいですね。

      東田直樹

  • 9:名前:あかつき : 2019/06/26(水)

    東田さんの文章が大好きです。
    最近ブログを始めたので、早速紹介させていただきました。
    よろしければ遊びに来て下さい。https://ameblo.jp/akatsukinooto/

    • 10:名前:higashida : 2019/06/26(水)

      あかつきさんへ

      どうも、ありがとうございます。

      東田直樹

ご意見・ご感想をお願いします。

決めつけ

エッセイ

人がしないような辛い経験は、経験した人にしかわかりません。

そんな経験はしない方がいいに決まっていますが、もし、そんな経験をしてしまったら、なかったことには出来ないでしょう。

なかったことには出来ませんが、経験したから、その人の人生が、より不幸になるとは限りません。

経験したからこそ、わかる幸せがあるからです。

幸せは自分で見つけるもので、誰かに見つけてもらうものではないような気がします。

相手が不幸そうだと決めつけるのも、幸せそうだと決めつけるのも、見ている人の想像でしかないのです。

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コメント
  • 1:名前:匿名でお願いします : 2019/07/03(水)

     そうですよね・・・・・頭ではわかっていても、なかなか前向きになれず、足踏みをしています・・・・でも、ありがとうございました。コメントを頂けただけでも嬉しかったです。つまらない愚痴を聞いていただいてすみませんでした・・・・・

    • 2:名前:higashida : 2019/07/04(木)

      匿名でお願いしますさんへ

      僕もいつも足踏みしているので、足踏みが悪いことだとは思っていません。

      東田直樹

  • 3:名前:匿名希望 : 2019/07/02(火)

    恐らく今の東田さんには、想像すらできないのでしょう。支援者側の世界では、人が人を支えていく輪の重なりで成り立っています。一人では、精神的にも肉体的にも障害者を支えることはできないからです。

    無論、障害者と言っても様々です。ただ今の東田さんは、分からないからこそ自分の感情の赴くままに支援者の善意をも傷つけてしまう障害者なのでしょう。仕方のないことでしょう。

    • 4:名前:higashida : 2019/07/04(木)

      匿名希望さんへ

      今の社会は、障害者だけでなく、いろいろな人が支援を望んでいます。
      福祉の世界に限らず社会の抜本的な改革が急務になることは間違いありません。
      支援者側、障害者側という捉え方にも変化が訪れる日が来るかもしれません。

      東田直樹

  • 5:名前:匿名でお願いします : 2019/07/02(火)

     こんばんは。二十八歳男性です。私は今でも忘れられないつらい経験があります。中学一年の時の出来事です。同級生の子との間に起きたトラブルでした。あまり、いい言い方ではありませんが、不良少年と言いましょうか?その子に危うくお金をだまし取られそうになった事がありました。不安になった私は母に打ち明けたところ、母が驚愕し、すんでのところで被害を免れました。事の重大さに気づいた母が私の担任に相談してわかった事ですが、その子は他にも窃盗(主に置き引き)も繰り返しており、職員室では有名だったそうです。
     被害を免れたとはいえ、私の気持ちは晴れる事はありませんでした。何故、こんなひどい事をするのだろうか?どうして、自分の事を一人の人間として尊厳を大切にしてくれなかったのか?そんな事ばかり考えると、辛くて、悔しくて、許せないと感じた事もありました。今は昔ほどではありませんが、まだ引きづっています。イライラするたびにその子の事ばかりを想像してしまいます。それ以上に自分の欲求や快楽を満たすためなら反社会的な事をする。人を傷つけることも厭わないという心理に恐怖さえ、抱いた事もあります。これからもあの子への恨みと恐怖心は完全には消えそうもありません。
    私にも経験したからと言って不幸になるわけではないといえる日がくるのでしょうか?長々と愚痴っぽくなってすみませんでした・・・・・・

    • 6:名前:higashida : 2019/07/03(水)

      匿名でお願いしますさんへ

      恨みと恐怖心は別のものです。恨みは相手を嫌う感情であり、恐怖は怖がる気持ちです。
      そんなにひどいことをされたら誰でも怒るでしょう。
      その人を嫌いになってもおかしくありません。
      怖いと思うのも当然ですが、もう終わったことです。
      また、同じ目に合わないとは限りませんが、もしあったら警察に相談して下さい。
      あなたにも、きっと幸せは訪れると思います。

      東田直樹

  • 7:名前:匿名希望 : 2019/07/02(火)

    もう一つ、東田さんを取り巻く偽善に満ちたメディアが嫌いです。メディアにとっては、東田さんは奇跡の人であり、聖人の象徴なのでしょうが、同じ障害を持っていても十人十色、奇跡を期待される当事者にとっては、迷惑でしかないと思えます。恐らく一生分かり合えることはしないでしょう。

  • 8:名前:匿名希望 : 2019/07/02(火)

    同感です。さらに踏み込んで言うならば、支援者を支援する体制作りの強化こそが、必要不可欠でしょう。私には、障害のある当事者に対してよりも、むしろ障害者を取り囲む健常者の社会に苦しんでいる支援者の方が多いように見えます。例えば、東田さんの書籍から救いを求める読者が少なからず存在するのは、そういった社会背景が伺えるように思うのです。

    • 9:名前:higashida : 2019/07/02(火)

      匿名希望さんへ

      支援者を支援した後には、
      支援者を支援する人を支援して・・・という風に、
      きりがないようにも思えます。

      東田直樹

  • 10:名前:匿名希望 : 2019/06/30(日)

    人がしないような辛い経験、不幸だという定義は、人によって異なるので一概にはなんともと言ったところでしょうか。

    例えばになりますが、障害者は健常者より辛いだろう、不幸だろうと思う人は、この世の中では少なからずいるでしょう。障害者には優しくしなさいとか、話を聞いて理解してあげなさいという考えが浸透しているのは、そういった背景があるように思います。確かに、生活面での困難さは見てよく分かります。

    けれども、健常者の社会は、時として障害者の社会よりも不自由で辛いように思えます。その困難さは目には見えないので、反対に、障害者が健常者に優しくしなさいとか、話を聞いて理解してあげなさいとはならないのでしょう。

    何が辛い、何が不幸かは、健常者、障害者に隔たりはなく、結局のところその人にしか分かりません。けれども、あの人は〇〇だから、〇〇と言ったからと決めつけるのではなく、その人が何を伝えようとしているのか、心の声に耳をすませる、想像してみることもが、時に必要なのかもしれません。

    それから、自分の気持ちが望むように伝わるとは限らない。むしろ伝わらないことの方が多くのではないでしょうか。それを求めるのは、子供の甘えだと思うのです。

    • 11:名前:higashida : 2019/07/01(月)

      匿名希望さんへ

      その通りですね。これからの社会は「障害者」というくくりはなくなり、「支援が必要でない人」が「支援が必要な人」を援助するという世の中になっていくのではないでしょうか。

      東田直樹

  • 12:名前:hiro : 2019/06/27(木)

    そうですね。
    幸せかどうかなんて見ただけではわからないと思います。
    そして、仰る通り幸せは自分で見つけるものだと思います。
    小さな幸せを見つけながら日々過ごせたらいいですね。

    • 13:名前:higashida : 2019/06/28(金)

      hiroさんへ

      幸せというのは、自分の心が決めるものだと思っています。

      東田直樹

  • 14:名前:bari : 2019/06/25(火)

    初めてコメントします。私は発達障害(自閉症スペクトラム)です。知的障害はありませんが、自閉症特有の特性をいくつか持っています。東田さんの著書も読ませてもらっています。自分も幸せについて考えることがあります。人から見れば幸せそうな人も本当に幸せかどうかは分かりませんし、不幸そうに見える人も本当に不幸かどうかは分からないと自分も思います。幸せかどうかはその人が決めることと思います。そして様々な経験をして人はまた一つ成長するのだと日々生活していて思います。

    • 15:名前:higashida : 2019/06/26(水)

      bariさんへ

      僕も自分の幸せについてよく考えます。考えるという作業が、幸せの一歩だと思います。

      東田直樹

  • 16:名前:さちほ : 2019/06/25(火)

    身を削るような辛い経験をしたからこそ、人間性が醸成されているような気がします。思いやりを持てる人間になっている気がします。
    幸福な経験も、辛い経験も、人生には必要な要素なのですね。甘さとほろ苦さのスパイスのようです。

    • 17:名前:higashida : 2019/06/25(火)

      さちほさんへ

      スパイスがあるからこそ、いい味が出せるのでしょう。

      東田直樹

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心の準備

エッセイ

 

なかなかうまくいなかいと思っている時ほど、

前向きに生きた方がいいに違いありません。

そんなことわかってる。

大抵のことは、みんなもわかっているのです。

人との出会いや言葉が、新しい一歩を踏み出すきっかけになることがあります。

「そうだ、そうだよね」

心の準備さえ出来れば、何も怖くはありません。

本日のnote記事

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  • 1:名前:たけぽん : 2019/06/25(火)

    自分の心は、自分が決める。
    うまくいっても、うまくいかなくても、
    わかりかけてたことが、またわからなくなっても、
    あまり大した事ではないのかもしれません。
    自分の心はひとつだけ。どうすれば、自分の心が喜ぶのか、
    それを見つけられたら、何も恐れるものはないのかもしれません。

    • 2:名前:higashida : 2019/06/26(水)

      たけぽんさんへ

      本当の意味で自分の心を幸せにできるのは、自分だと思うのです。

      東田直樹

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よかった

エッセイ

晴れてよかった

雨でよかった

曇りでよかった

とにかくよかった

いいことづくめの人生は

「よかった」という言葉から始まる

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  • 1:名前:あきこ : 2019/06/24(月)

    確かに「〇〇で良かった」って、素敵な言葉ですね。響きもとっても良い。
    元気になりたいときに、直樹さんの言葉を思い出そうと思います。

    • 2:名前:higashida : 2019/06/25(火)

      あきこさんへ

      起きた出来事を変えることはできませんが、気持ちはいくらでも変えることができると思います。

      東田直樹

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文章を書くということ

エッセイ

 

文章を書くということは、自分の思いを届けることです。
自分は、こんなに書けると威張っても、それは自己満足でしかありません。

書くことを仕事にしている人であれば、書くという作業は、苦痛を伴うことではないはずだからです。

僕は文章を書いている時、どう書けば、自分の思いが読んでくださる方に届くのだろうと考えています。

書いた文章が、自分の正義や意見を押し付けるものではなく、僕の文章を読むことによって、その方の視野が広がったり、思考が深まったりする内容であることが望ましいと思っています。

たとえば「よく書けるね」という評価は有難いですが、それは僕の文章に感心はしてくださっていても、僕の文章の世界観に入り込んでくださっているわけではないような気がするのです。

読んでよかったと思うような文章に出会った時、人は感動します。
それは、感心とは別の心の反応だと思います。

心が揺り動かされると、人は新しい一歩を踏み出そうとします。
僕の文章が、そんなきっかけのひとつになれば嬉しいです。

本日のnote記事

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  • 1:名前:匿名希望 : 2019/07/01(月)

    作品は、世の中に送り出した瞬間から作家の手から離れ自ら歩き出すと聞きますが、どのように作品を堪能するかは、読者に委ねるべきではないでしょうか。読者にこのように読んでほしいと訴えるのは、プロの作家とは言い難いのではないのでしょうか。作家は、本を買って読んでもらうことが仕事でしょう。酷評されても、めげずに書き続ける作家は大勢います。酷評でも世間に注目してもらえるだけありがたいと、エネルギーに変えて活躍される作家も大勢います。購買部数を伸ばさないことには、伝える機会すら与えられなくなりますから。そこに、障害者だからの言い訳や甘えは全くありませんか。目先の読者の反応に一喜一憂するのは、あまり意味のないことのように思えます。その先にも大勢の読者がいますよ。

    • 2:名前:higashida : 2019/07/01(月)

      匿名希望さんへ

      僕がプロの作家かどうかを決めるのも読者だと思っています。

      東田直樹

  • 3:名前:hiro : 2019/06/27(木)

    東田さんのブログを拝見していると私も優しい気持ちになれます。
    それはとても幸せでありがたいことです。

    • 4:名前:higashida : 2019/06/28(金)

      hiroさんへ

      読んで下さる方がいることが、僕の幸せです。

      東田直樹

  • 5:名前:まる : 2019/06/23(日)

    自分が誰かの役に立つとしたら、
    それはとても嬉しいことですね。
    私もそんな風に生きれたら、と憧れます。

    東田さんの優しい文章を読むと
    いつも、優しい心に戻れたり別の視点に気づけたりします。ありがとうございます。
    これからも楽しみにしています。

    • 6:名前:higashida : 2019/06/23(日)

      まるさんへ

      もし、僕の文章がお役に立っているのだとしたら、幸せです。

      東田直樹

  • 7:名前:ゆき : 2019/06/23(日)

    ありがとうございます。

    • 8:名前:higashida : 2019/06/23(日)

      ゆきさんへ

      こちらこそ、ありがとうございます。

      東田直樹

  • 9:名前:あきこ : 2019/06/22(土)

    昔からある聖書、一冊を紐解いてみても解釈の仕方は無数にあって、その解釈の差異によって人々が争ったり、血を流すことさえある。言葉とは、本来は非常にデリケートでありながら、時として、とんでもない破壊力を持った道具であるように感じています。

    そんな言葉を文章として繋ぎ、人々の心を揺さぶる作家としての職業を選んだ、直樹さんのことを尊敬しています。そして、いつも応援しています。

    • 10:名前:higashida : 2019/06/23(日)

      あきこさんへ

      言葉を操れるからこその人間の苦悩だと思います。

      東田直樹

  • 11:名前:灰色猫 : 2019/06/22(土)

    なってます。一歩踏み出すきっかけに。
    変わらない日常に、別の角度から光を当ててくれて、私の人生に彩りを与えてくれるようなきっかけに。

    毎晩眠る前に、東田さんの詩の世界に心地よく浸っています。noteも大好きです。

    時々びっくりするくらい私の心境にフィットする言葉が書かれていたりして、本当は毎日感想を伝えたいのだけど、なかなかうまく言葉にできなかったり、時間がとれなかったりしてもどかしいです。

    でも毎日読んでいます。
    きっと、「伝える」ことを真摯に考えて書いておられるから、こちらに伝わるのでしょうね。明日からも楽しみにしています。

    • 12:名前:higashida : 2019/06/23(日)

      灰色猫さん

      そうおっしゃってくださって、うれしいです。

      東田直樹

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