嵐の前触れは 悪魔の時間
どこに逃げる?
信じられるのは仲間の行動と自分の勘
怖いよ怖い
子どもが泣いても
大人は泣けない
答えのない道を探し求め
ただ突き進むだけ
子どもの手を握りしめ
大丈夫だよと励ます
この嵐が過ぎ去れば
また 元の生活に戻れるから
先の見えない未来を必死でよもうとする
命を守るために
心を守るために
本日のnote記事
東田さんの主張される奇跡とは何でしょう。 東田さんの道を辿ることでしょうか。 東田さんが発信される言葉には、自分の事を理解してほしいという主張は感じとれますが、その先が見えてこないです。しかし、メディアのつくられたイメージに苦しんでおられるのは、本当は東田さんご自身なのかもしれませんね。
匿名希望さんへ
僕自身はメディアのつくられたイメージに対して、特に苦しんではいません。 その人のことを正しく認識することが難しいのは、メディアだけではないからです。 本を読んでどう感じるかは、人それぞれでいいと思っています。
東田直樹
直樹さんにそのように仰っていただくと、私は、少し残念な気持ちになります。
お母様の美樹さんのお気持ちは、測り知れません。ですが、同じ障害を持つ息子を、私は親不孝な子だと思ったことは、一度もないからです。
工夫が必要が子育てであることには、違いありません。けれども、美樹さんの著書には、直樹さんが成長する喜びに溢れているように感じました。
同じ障害を持つ方々の中でも、症状が重い軽い、表れ方が違うことで、困難さはそれぞれあるかとは思います。それでも、同じ子供を持つ親として、感じる心に大きな隔たりはないように思います。
親になってからの後悔と、直樹さんの言葉とは違いますよ。ご自身を大切になさって下さいね。
あきこさんへ
きっと母も、僕のことを親不孝者だとは、思っていないでしょう。
それはご謙遜ではないでしょうか。 東田さんならば、どの世界においてもご自身で道を切り拓かれるように思えます。
同じ障害を持っていても十人十色というご意見には賛成です。 奇跡を期待される当事者にとっては迷惑でしかないかどうかは、人によって違うと思います。 奇跡を待つことが、生きる希望につながっている人もいると思うからです。
それは何とも言えません。
人間界は利権が絡み合っているので、都合の良い事ばかりを言う。仲間かどうか見分けがつかないこともあるでしょう。その点、動物はしがらみがないことを羨ましく思いますね。
僕が動物だったら、きっと生きてはいないでしょう。 弱肉強食の方が僕にとっては恐怖です。
どんなに注意深く生きていても、時々嵐はやってきますね。
信じられる仲間がいることが、握りしめる手のぬくもりが、暗闇の中のともしびになるのでしょう。
それを見失わないように、心を失わないように、私も嵐のときは東田さんの詩を思い浮かべて晴れ間を待ちます。
灰色猫さんへ
前触れの状況をどう受け止めるかで、乗り越え方も変わるのでしょう。
昨晩、息子とシートン動物記を読んでいたのですが、直樹さんの作品を読んでいたら、そのときの情景が頭の中に浮かびました。とても素敵な作品ですね。
親子の絆って不思議です。私は、直樹さんのような親孝行な娘ではなかったので、甘えられるのが当たり前だと、疑問にすら感じたことがありませんでした。今、親になったからといっても、子供の頃の自分と差ほど違う訳ではないのに驚きます。怖いものは怖いし、面倒くさいし、怖がりだし、泣きたくなることもある。けれども、それが我が子のためだとなると、どこからか別人の自分がやって来て、私を助けてくれる。育児は、育自のように思います。ありがたいことです。
僕も決して親孝行な息子とは言えません。
ご意見・ご感想をお願いします。
名前(任意)
次回のコメントで使用するためブラウザーに自分の名前、メールアドレス、サイトを保存する。
東田さんの主張される奇跡とは何でしょう。
東田さんの道を辿ることでしょうか。
東田さんが発信される言葉には、自分の事を理解してほしいという主張は感じとれますが、その先が見えてこないです。しかし、メディアのつくられたイメージに苦しんでおられるのは、本当は東田さんご自身なのかもしれませんね。
匿名希望さんへ
僕自身はメディアのつくられたイメージに対して、特に苦しんではいません。
その人のことを正しく認識することが難しいのは、メディアだけではないからです。
本を読んでどう感じるかは、人それぞれでいいと思っています。
東田直樹
直樹さんにそのように仰っていただくと、私は、少し残念な気持ちになります。
お母様の美樹さんのお気持ちは、測り知れません。ですが、同じ障害を持つ息子を、私は親不孝な子だと思ったことは、一度もないからです。
工夫が必要が子育てであることには、違いありません。けれども、美樹さんの著書には、直樹さんが成長する喜びに溢れているように感じました。
同じ障害を持つ方々の中でも、症状が重い軽い、表れ方が違うことで、困難さはそれぞれあるかとは思います。それでも、同じ子供を持つ親として、感じる心に大きな隔たりはないように思います。
親になってからの後悔と、直樹さんの言葉とは違いますよ。ご自身を大切になさって下さいね。
あきこさんへ
きっと母も、僕のことを親不孝者だとは、思っていないでしょう。
東田直樹
それはご謙遜ではないでしょうか。
東田さんならば、どの世界においてもご自身で道を切り拓かれるように思えます。
匿名希望さんへ
同じ障害を持っていても十人十色というご意見には賛成です。
奇跡を期待される当事者にとっては迷惑でしかないかどうかは、人によって違うと思います。
奇跡を待つことが、生きる希望につながっている人もいると思うからです。
東田直樹
匿名希望さんへ
それは何とも言えません。
東田直樹
人間界は利権が絡み合っているので、都合の良い事ばかりを言う。仲間かどうか見分けがつかないこともあるでしょう。その点、動物はしがらみがないことを羨ましく思いますね。
匿名希望さんへ
僕が動物だったら、きっと生きてはいないでしょう。
弱肉強食の方が僕にとっては恐怖です。
東田直樹
どんなに注意深く生きていても、時々嵐はやってきますね。
信じられる仲間がいることが、握りしめる手のぬくもりが、暗闇の中のともしびになるのでしょう。
それを見失わないように、心を失わないように、私も嵐のときは東田さんの詩を思い浮かべて晴れ間を待ちます。
灰色猫さんへ
前触れの状況をどう受け止めるかで、乗り越え方も変わるのでしょう。
東田直樹
昨晩、息子とシートン動物記を読んでいたのですが、直樹さんの作品を読んでいたら、そのときの情景が頭の中に浮かびました。とても素敵な作品ですね。
親子の絆って不思議です。私は、直樹さんのような親孝行な娘ではなかったので、甘えられるのが当たり前だと、疑問にすら感じたことがありませんでした。今、親になったからといっても、子供の頃の自分と差ほど違う訳ではないのに驚きます。怖いものは怖いし、面倒くさいし、怖がりだし、泣きたくなることもある。けれども、それが我が子のためだとなると、どこからか別人の自分がやって来て、私を助けてくれる。育児は、育自のように思います。ありがたいことです。
あきこさんへ
僕も決して親孝行な息子とは言えません。
東田直樹
ご意見・ご感想をお願いします。