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エッセイ

心が貧しいといわれる人、豊かだといわれる人、

その違いは、どこにあるのかと考えることがあります

心が貧しいといわれる人の心は、本当に貧しいのでしょうか。

言葉にできないだけで、すばらしい感性を持った人もいます。

人は、いつも、見えない心を見ようとします。

見えた気になってしまいます。

「心が貧しい」「心が豊か」

それは、相手の心の中を表しているわけではなく、

相手の心が、そんな風に見えるという自分の心を

表している言葉ではないでしょうか。

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コメント
  • 1:名前:カノン : 2021/05/27(木)

    あ〜本当にそうだな!✨直樹くんの言う通りだな〜と思いました。 
    人間って多面体で自分から見えている部分(面)で相手を判断してしまう…その人の全てが見えている訳では無いから。
    相手…自分以外の他人がする事を自分がどう感じどう思うか🌱なのですから。
    ただ…その人が日々どの様な気持ちや考えで生きているのかがその人から滲み出ているのを人は感じることはあると思う。
    心が豊か って相手を理解したり優しくて思いやりがある事だと思う

  • 2:名前:すーさー : 2019/09/09(月)

    こんにちは。
    自分でも分からないのに。
    誰の心も見えないのに。
    時々、壁の向こうから手を差し出して
    握手してもらえたら十分です。
    ありがとうございます。

  • 3:名前:54歳・男 : 2019/09/08(日)

    人の心は見えないけれど感じることはできると思います。人の心をどのように感じるかは人それぞれに違うけれど、相手の心が貧しいと感じる、あるいは豊かだと感じるとき、同じ貧しさ、豊かさが自分の心の中にも潜んでいるのかもしれません。

    • 4:名前:higashida : 2019/09/08(日)

      54歳・男さんへ

      心が感じるものなら、そうなのかもしれません。
      心の謎を解くことは難しいものですね。

      東田直樹

  • 5:名前:ふじ : 2019/09/07(土)

    たしかにそうですね。

    そう見えるのは、自分が相手をそう捉えただけであって、
    必ずしも相手の全てを語っているわけではない。

    …でも、自分が感じた事が、さも正解のように感じてしまうことは、よくあるように思います。

    いつも頭の片隅に置いておきたいことだなと思いました。

    • 6:名前:higashida : 2019/09/08(日)

      ふじさんへ

      心というものは、そんなに簡単に
      決めつけられるものではないと思います。
      誰の心の中にも、善と悪が混在していると思います。

      東田直樹

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