僕には見えていないのです
2019-06-17
エッセイ
僕には、人が見えていないのです。
「僕には、人が見えていないのです。人も風景の一部となって、僕の目に飛び込んでくるからです」と以前、本の中で書きました。
これは、相手が誰だかわからないということを説明しているのではありません。
僕の場合、いつも会っている場所以外だと、その人が誰なのか、相手が家族であっても、すぐには気づかないことがありますが、この文章に書いてある内容は、僕が人だけを特に注視することはないという意味なのです。
このような特性は、訓練すれば治るというようなものではないような気がします。
それは、僕が意識して人を見ていないわけではないからです。
少しずつ、自分で出来ることが増えて来た今でも、そういった見え方に変化はありません。他の自閉症者が、僕と同じかどうかは、わかりません。
自分も自閉症と診断されました。跳びはねる思考の中の挨拶のところの気持ちがすごくわかります。興味がないのに人に挨拶する意味も、どうせ仲良くなれない人に挨拶する意味もわからない。会話をしようとしても、噛み合わなくて怪訝な顔をされる。挨拶をすることで会話が始まることを恐れている。人を避けて生きてます。どうしたらいいのでしょう。
自閉症の特性をもつ子どもの母です。
私の子どももそういうふうに見えてるのかなと感じました。 子どもは、まだ言葉にして自分の感じた事を伝える事が出来ないのですが、とてもわかりやすく、捉えることができました。ありがとう。
はなさんへ
相手を思いやる気持ちは、「なぜ」という疑問からも生まれるのではないでしょうか。
東田直樹
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