文章を書くということ
2019-06-22
エッセイ
文章を書くということは、自分の思いを届けることです。
自分は、こんなに書けると威張っても、それは自己満足でしかありません。
書くことを仕事にしている人であれば、書くという作業は、苦痛を伴うことではないはずだからです。
僕は文章を書いている時、どう書けば、自分の思いが読んでくださる方に届くのだろうと考えています。
書いた文章が、自分の正義や意見を押し付けるものではなく、僕の文章を読むことによって、その方の視野が広がったり、思考が深まったりする内容であることが望ましいと思っています。
たとえば「よく書けるね」という評価は有難いですが、それは僕の文章に感心はしてくださっていても、僕の文章の世界観に入り込んでくださっているわけではないような気がするのです。
読んでよかったと思うような文章に出会った時、人は感動します。
それは、感心とは別の心の反応だと思います。
心が揺り動かされると、人は新しい一歩を踏み出そうとします。
僕の文章が、そんなきっかけのひとつになれば嬉しいです。
作品は、世の中に送り出した瞬間から作家の手から離れ自ら歩き出すと聞きますが、どのように作品を堪能するかは、読者に委ねるべきではないでしょうか。読者にこのように読んでほしいと訴えるのは、プロの作家とは言い難いのではないのでしょうか。作家は、本を買って読んでもらうことが仕事でしょう。酷評されても、めげずに書き続ける作家は大勢います。酷評でも世間に注目してもらえるだけありがたいと、エネルギーに変えて活躍される作家も大勢います。購買部数を伸ばさないことには、伝える機会すら与えられなくなりますから。そこに、障害者だからの言い訳や甘えは全くありませんか。目先の読者の反応に一喜一憂するのは、あまり意味のないことのように思えます。その先にも大勢の読者がいますよ。
匿名希望さんへ
僕がプロの作家かどうかを決めるのも読者だと思っています。
東田直樹
東田さんのブログを拝見していると私も優しい気持ちになれます。
それはとても幸せでありがたいことです。
hiroさんへ
読んで下さる方がいることが、僕の幸せです。
東田直樹
自分が誰かの役に立つとしたら、
それはとても嬉しいことですね。
私もそんな風に生きれたら、と憧れます。
東田さんの優しい文章を読むと
いつも、優しい心に戻れたり別の視点に気づけたりします。ありがとうございます。
これからも楽しみにしています。
まるさんへ
もし、僕の文章がお役に立っているのだとしたら、幸せです。
東田直樹
ありがとうございます。
ゆきさんへ
こちらこそ、ありがとうございます。
東田直樹
昔からある聖書、一冊を紐解いてみても解釈の仕方は無数にあって、その解釈の差異によって人々が争ったり、血を流すことさえある。言葉とは、本来は非常にデリケートでありながら、時として、とんでもない破壊力を持った道具であるように感じています。
そんな言葉を文章として繋ぎ、人々の心を揺さぶる作家としての職業を選んだ、直樹さんのことを尊敬しています。そして、いつも応援しています。
あきこさんへ
言葉を操れるからこその人間の苦悩だと思います。
東田直樹
なってます。一歩踏み出すきっかけに。
変わらない日常に、別の角度から光を当ててくれて、私の人生に彩りを与えてくれるようなきっかけに。
毎晩眠る前に、東田さんの詩の世界に心地よく浸っています。noteも大好きです。
時々びっくりするくらい私の心境にフィットする言葉が書かれていたりして、本当は毎日感想を伝えたいのだけど、なかなかうまく言葉にできなかったり、時間がとれなかったりしてもどかしいです。
でも毎日読んでいます。
きっと、「伝える」ことを真摯に考えて書いておられるから、こちらに伝わるのでしょうね。明日からも楽しみにしています。
灰色猫さん
そうおっしゃってくださって、うれしいです。
東田直樹
ご意見・ご感想をお願いします。