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シャボン玉を見送る

エッセイ

 

シャボン玉が遠くに流れていくのを

見送るのは楽しいです。

まるで自分が旅に出かける気分に

なります。

どうしてだろうと考えてみると、

現実の生活から少しだけ離れて、

ふわふわとした気持ちになるところが

似ているのだと思います。

僕は、もし自分がシャボン玉なら

どこに行きたいかと考えることが

あります。

その行き先は自宅の窓が見える

ところかもしれません。

すぐ近くの広場だとしても

それも立派な旅なのです。

 

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コメント
  • 1:名前:けいちゃん : 2022/12/14(水)

    素敵な写真ですね
    文章も読んでいて
    心が軽くなります
    有難うございます

  • 2:名前:匿名 : 2022/12/12(月)

    直樹さん
    これから
    楽しい旅が
    あちこちできると
    いいですね。

    わたしも
    日々
    人生の旅を
    楽しんでいます。

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心を整えるという言葉の意味

エッセイ

 

心を整えるという言葉をときどき聞きます。

心を整えるというのは、具体的にどうすることなのかなぁ

と思いながらも、その言葉自体のもつ力で

「自分もやらなきゃ」という気にさせてくれ

言葉ではないでしょうか。

整えるという意味には、乱れのないように

形をきちんとするという意味もあるので、

きっと平常心になればいいのでしょう。

そうすると平常心って、どんな状態だったのかな

と思う訳で、自分の平常心がわかっていなければなりません。

僕自身は、今の気持ちがわかっても、昨日の気持ちさえ

思い出すのは難しいです。

だから結局、今の自分が穏やかであることが

心を整えることなのかもしれません。

 

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  • 1:名前:けいちゃん : 2022/11/25(金)

    こんにちは
    直樹さんのブログを読んでいると
    心が整います
    心が穏やかになるのです
    だから、時々こうして訪れています。
    いつも、有難うございます。

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テレビ番組と習慣

エッセイ

 

先日Twitterでテレビ番組と習慣について書きました。

番組の出演者が変わることは、

僕にとってそれほど影響はありません。

なぜなら出演者にこだわりがあるわけではなく、

その時間にその番組を見ることが

習慣になっているということだからです。

司会者や声優さんが変わっても、

その番組自体が終わらなければ大丈夫です。

これまでと違う人になったことで、

しばらくは違和感がありますが、じきに慣れます。

僕も耳はよく聞こえる方だと思います。

日常生活でときどき耳をふさぐこともあります。

人の声については、うるさいと思うことはあっても、

嫌な音と感じたことはありません。

 

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  • 1:名前:けいちゃん : 2022/11/19(土)

    直樹さん
    いつも有難うございます
    寂しくなると
    直樹さんのブログに来ます
    そうするとホッとします
    習慣で同じ番組を見てらっしゃるのですね
    なんかわかります
    私も習慣でやっていることあるかな?
    習慣でやる、なんかいいです
    やらなきゃと思ってやってることばかりだな
    と気付き、それがストレスになってきるんだな
    習慣でやること欲しいです
    それは自分から行っていることだからです
    心を整えることに繋がると思いました

  • 2:名前:弘枝 : 2022/11/18(金)

    今夜のツィートに
    ホンワカ致しました
    直樹さんの
    溢れる愛を感じます、
    自分を愛して
    人を愛して
    自然を愛して
    誰かに責められてる
    そうですね
    そんな時は
    自分で
    自分を責めているのかもしれません
    直樹さん
    いつもありがとうございます

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花とも目を合わせられない

エッセイ

 

僕は花を見ると胸がいっぱいになってしまいます。

人だけでなく花からも視線を感じていて、

花とも目を合わせられません。

きれいに咲いている花ならなおさらで

感動し過ぎて、なんだか怖くなってしまうのです。

自然は人の心を感動させてくれますが、

なぜか恐れまで抱いてしまう。

その恐れは自然からの警告ではないかと思うのです。

人間が知らない世界がこの世にはたくさんあります。

地上に存在するすべてのものに敬意を払い、

人間だけの地球にならないように

しなければいけないと考えています。

 

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散歩しているときの僕の意識

エッセイ

 

散歩しているとき、僕が何を考えているのかというと、

何も考えていないことのほうが多いです。

体を動かすことに一所懸命だからだと思います。

見たところ身体に機能的な障害はないのに

そんなことあるはずがないと思われるかもしれませんが、

歩く歩くぞと意識しなければ、

僕は止まってしまいそうになります。

だから前を向いてずんずん歩きます。

油断すると走ってどこかに行ってしまうので、

目的地までずんずん歩きます。

 

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  • 1:名前:メリー : 2022/12/18(日)

    エッセイ読ませていただきました。私は今年になってから意識を意識化しないと我を忘れるような感覚になり、夜は眠るのが怖くなりました。忘れることも怖く感じるようになり、自分にとってその時々に大切なこと、楽しみに思っていることを忘れないように考え続けよう(意識化)と思い続け、忘れる、思いだす、忘れる…というのが半年ほど続きました。身体は疲弊し、仕事も続けられなくなり、退職しました。そして3か月ほど経過したいま、あの状態は身体と心身の状態が解離していたのではないかと思うようになりました。

    ある方のワークショップで自閉症の方の話しを聞き、以前購入し自宅にあった東田さんの本を手にとりました。不思議と安心感を感じました。

    専門的な知識もなく乏しい理解力で考えたことです。どうして安心したのかうまく説明できません。でも、身体も回復してきたいま、我を忘れるような感覚はうすれ、眠って意識がなくなる不安もうすれてきました。東田さんの感じている世界を知って安心できました。ありがとうございました。

  • 2:名前:翔 : 2022/12/15(木)

    はじめまして 私は自閉症の方(成人)男性)の移動支援を行なっています
    突然走りだし 信号のない横断歩道でも止まらず走りる事があり とても危険です 歩く様に声がけは何度もしますが 全く効果ない時もあります
    何か 上手な伝えかたはありますか

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